地層大切断観光②

【東京都民限定】往復高速ジェット船利用 伊豆大島日帰りツアー。伊豆大島の岡田港から大島バスの「あじさい満喫コース」で島内をバス観光②。

【東京都民限定】往復高速ジェット船利用 伊豆大島日帰りツアー。伊豆大島の岡田港から大島バスの「あじさい満喫コース」で島内をバス観光②。

 車内では運転手さんが以下のように冗談交じりに島内についてアナウンスしました。

・伊豆大島一周道路は約43キロ

・島の海岸線一周は約60キロ

・島は東京から約120キロ

・島は伊豆半島からは30キロ

・伊豆大島の面積は90平米

・佐渡島の約1/9

・淡路島の約1/6

・東京の山手線の内回りとほぼ同じ

・東京ドーム1747.6個分

・甲子園球場2300個分

・伊豆大島は元町を中心にして六か村

・人口は7200前後、運転手の子どもの頃は11000人

・都立大島高校前を通過、伊豆大島には高校が2校ある

・都立大島高校は東京都立高校の中で敷地面積が一番広い

・その土地のほとんどが農業科の畑

・運転手も大島高校通った

・今はどうか分からないが、その頃、3年生になると普通科でも農業を選択でき、畑と野菜の種が支給される。そして収穫物は家に持って帰れる。

・大島市庁舎は上から見ると椿の花の形、だれが上から見るのかな?


伊豆大島と佐渡島について

 伊豆大島と佐渡島は、日本の二つの美しい島であり、それぞれ独自の特徴を持っています。以下に、両島の違いを詳しく説明します。

 

1. 伊豆大島

    - 伊豆大島は伊豆・小笠原弧に位置する火山島で、東京から最短わずか約3時間30分で到着できます。

    - 面積は伊豆大島が91.06平方キロメートルです。

    - 暖流につつまれた豊かな四季を楽しめ、意外に暖かい気候が特徴です。

    - 住民は約5万人で、のんびりとした暮らしを営んでいます。

    - 島内にはコンビニや書店、ファストフード店、洋服店、ネットカフェなどの施設があり、便利な生活が送れます。

 

2. 佐渡島

    - 佐渡島は新潟沖に浮かぶ島で、面積は854.76平方キロメートルで、日本国内では主要4島以外では沖縄本島に次いで第1位です。

    - 対馬暖流のおかげで冬は暖かく、雪が少ない特徴があります。

    - 保育園や学校、病院が充実しており、住みやすい環境です。

    - 佐渡島は豊かな四季と大自然を楽しめ、歴史や民俗も豊富に残っています。

 佐渡島は、新潟県の西部に位置する島で、全域が新潟県佐渡市に属しています。佐渡島はもともと本州と地続きであったが、地殻変動や火山活動による地形の変化で約1,600万年前頃に本州から離れ、約200万年前頃には海底地盤の圧縮運動エネルギーにより地面が隆起し、大佐渡山地と小佐渡丘陵が国中平野をはさむ現在の形になったと考えられています。

 島名については、国土地理院『標準地名集』には「さどしま」という読み方で記載されています。地元議会では「さどがしま」への変更の議論があるそうです。


伊豆大島と淡路島の比較について

 伊豆大島と淡路島の比較を以下に示します:

 

1.  伊豆大島

    - 面積は約91.06平方キロメートルで、日本国内では主要4島を含め11番目に面積が大きいです。

    - 人口は約5万人で、のんびりとした暮らしを営んでいます。

    - 暖流につつまれた豊かな四季を楽しめ、意外に暖かい気候が特徴です。

    - 島内にはコンビニや書店、ファストフード店、洋服店、ネットカフェなどの施設があり、便利な生活が送れます。

 

2.  淡路島

    - 面積は約592.55平方キロメートルで、日本国内では主要4島以外では沖縄本島に次いで第2位です。

 - 人口は約12万人で、離島の中では最も多いです。

    - 気候が温暖で、農業が盛ん。特に酪農やタマネギ栽培がよく知られています。

    - 観光地としても発展し、美しい夕日や観光施設が相次いで出現しています。

  淡路島は、兵庫県南部に位置する島で、全域が淡路市に属しています。淡路島の名前の由来については、諸説ありますが、一般的には「阿波路から来た」という説が有力です。また、淡路島は日本神話に登場する「国生み神話」の舞台とされており、伊弉諾尊と伊弉冉尊が夫婦の契りを結び、国生みの儀式を行った場所とされています。

 

 両島はそれぞれ異なる魅力を持ち、訪れる人々に素晴らしい体験を提供しています 🏝️🌸🌊..


山手線の歴史について

 山手線は東京都内を環状に走る鉄道路線で、日本で最も利用客数が多いと言われています。その歴史を詳しく見てみましょう。

 

1.  開業と初期の名称

    - 山手線は1885年3月1日に日本鉄道によって開業されました。

    - 当初は「品川線」としてスタートし、品川から池袋を経由して赤羽までを結ぶ路線でした。

    - この区間は主に貨物輸送のために運行されていました。

 

2.  環状線への変遷

    - 1925年11月に山手線は環状線となりました。

    - この時、池袋から田端までの区間が完成し、現在のような環状運転が開始されました。

    - 山手線は東京市内(現在の23区に相当)西部の高台地域を指す「山手」の名称が由来となっています。

 

3.  現代の山手線

    - 現在の山手線は、東京都港区の品川駅を起点に、渋谷駅、新宿駅、池袋駅を経由して北区の田端駅を結ぶ全長20.6 kmの鉄道路線です。

    - 135年の歴史を持つ山手線は、東京の発展に大きく貢献してきました。

 

この丸い環状線は、日本の鉄道文化に深く根付いており、多くの人々に愛されています 🚆🌸🏙️.


東京ドームについて

 東京ドームは、1988年に日本で初めての全天候型多目的スタジアムとして開場しました。卵のような外観から「BIG EGG」という愛称でも親しまれています。開場以来、巨人や日本ハムが本拠地として使用してきました。後楽園球場からの移転で開場年から使用されており、2004年シーズンからは日本ハムが札幌に移転したため、巨人が唯一のフランチャイズとなっています。


甲子園球場について

 甲子園球場は、1915年に開催された「全国中等学校優勝野球大会」の会場として使用されたことが始まりです。その後、兵庫県の鳴尾球場や愛知県の山本球場を経て、1924年に阪神電鉄が新球場建設に名乗りを上げ、甲子園球場が完成しました。球場の名前は、大正13年の干支「甲子」から付けられたものだといわれています。

 甲子園球場は、高校野球の聖地として知られており、毎年春夏に全国高等学校野球選手権大会が開催されています。


伊豆大島にある村について

 伊豆大島は、東京都大島町に属する火山島で、約8,000年前から人が住み始めたとされています。現在の大島町は、1940年に島嶼町村制が普通町村制に移行した際に、元村、岡田村、泉津村、野増村、差木地村、波浮港村が合併して発足しました。伊豆大島は、古くは流刑地としても知られており、保元の乱に敗れた源為朝や役行者、ジュリアおたあなど、多くの著名人が流刑された歴史があります。


伊豆大島の人口推移について

 伊豆大島の人口については、東京都大島町公式サイトによると、国勢調査から大島町の総人口の推移を見ると減少が続いています。年齢層の構成別に見ると、老年人口(65 歳以上)の増加と、年少人口(0~14歳)の減少が特徴的です。生産年齢人口(15 歳~64歳)についても一貫した減少傾向になっています。 町勢要覧によると、2021年の人口は約3,800人で、2010年から約1,000人減少しています。


東京都立大島高校について

 東京都立大島高等学校は、1944年に開校した「大島農林学校」を前身としており、1948年の学制改革により新制高等学校となりました。現在の校名になったのは1951年です。大島高校は、都立高校でも屈指の敷地面積を誇り、海越しに富士山と天城連峰を一望できる学校です。また、本校は国際交流リーディング校であり、国際理解教育を推進しています。

 併設されている家政科と農林科では、それぞれ生活産業のスペシャリストや生命と環境のスペシャリストを目指すことができます。


伊豆大島市庁舎は上から見ると椿の花に見えることについて

 伊豆大島市庁舎は上から見ると椿の形に見えます。伊豆大島は椿の栽培が盛んで、毎年1月下旬から3月下旬にかけて「伊豆大島椿まつり」が開催されます。このお祭りでは、椿の花を観賞することができます。


伊豆大島の椿祭りについて

 伊豆大島椿まつりは、1956年から開催されている伝統あるお祭りです。毎年1月下旬から3月下旬にかけて開催され、伊豆大島の名物である椿にちなんで行われます。椿まつりのメイン会場である椿プラザでは、大島特産の椿油やお土産品、屋台が出店し、大島の郷土芸能が披露されます。また、椿プラザに隣接する大島公園の椿園には、多種多様な椿が咲き誇り、黄色の花弁を持つ珍しい「金花茶」を鑑賞できます。その他にも、島内各所でパレードや椿染、ミスコンテストなど、様々なイベントが催されます。今年の椿まつりは、2024年1月28日から3月24日まで開催される予定です。

 金花茶(キンカチャ)は、ツバキ科ツバキ属の植物で、黄色い花を咲かせる植物の総称です。伊豆大島椿まつりで鑑賞できる金花茶は、伊豆大島特産のキンカチャ(Camellia chrysantha)という品種で、黄色い花弁を持ち、香りが高く、味わい深いお茶に仕上がります。 金花茶は、緑茶や紅茶のように飲むことができますが、独特の風味があるため、そのまま飲むのが一般的です。


【東京都民限定】往復高速ジェット船利用 伊豆大島日帰りツアー。伊豆大島の岡田港から大島バスの「あじさい満喫コース」で島内をバス観光③。

【東京都民限定】往復高速ジェット船利用 伊豆大島日帰りツアー。伊豆大島の岡田港から大島バスの「あじさい満喫コース」で島内をバス観光③。

 車内では運転手から以下のように伊豆大島についてのアナウンスがありました。

・昭和40年の元町の大火災、元町全体が焼けました。

・焼けた元町は区画整理で道路幅も広くなりました。

・島内唯一の東京電力の発電所を通過、火力発電ではない

・伊豆大島火山博物館について

・伊豆大島の交通事情について、バスに厳しい乗用車について

・野間須村について

・野間須村は長寿の村、秘訣は冬には4、5キロになる魚のいすゞの内臓を食べること

・運転者も昔騙されて食べたが、ゴムのようでまずかった

・波浮港が一番最後に村になった


伊豆大島の元町の大火災について

 1965年1月11日、伊豆大島の元町で大規模な火災が発生しました。この火災は、島西部の集落・元町の中心部が壊滅するほどの被害をもたらしました。火災原因は、寿司店の酔客が2階の客間の石油ストーブを倒したことによるものでした。公共建物の全焼は、図書館、大島支庁、郵便局、法務局大島出張所、農協等でした。この火災での全焼戸数は、584棟418戸で、罹災世帯は408世帯1,273人でした。死者は出ませんでしたが、大島大火は、想定外の大惨事となりました。


伊豆大島にある東京電力の発電所について

 伊豆大島には、東京電力の内燃力発電所があります。この発電所は、大島町に位置し、火力発電を行っています。発電所の出力は1万5400キロワットで、大島町内の電力供給を担っています。

 ただし、大島町では再生可能エネルギーの導入にも力を入れており、太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギー発電設備の接続に関する説明会が開催されたこともあります。また、洋上風力発電設備の導入についても検討されているようです。

 東京電力の火力発電とは、石油や天然ガスなどの化石燃料を燃やして発電する方法です。

 火力発電所では、燃料を燃やして水を沸騰させ、蒸気でタービンを廻して発電機に回転する力を伝えて発電します。伊豆大島の内燃力発電所も同様に、石油や天然ガスを燃やして発電しています。

 内燃力発電所とは、燃料を燃やして発電する火力発電の一種です。内燃力発電所は、内燃機関を用いて発電機を回し、電気を発生させます。伊豆大島にある東京電力の内燃力発電所も、石油や天然ガスを燃やして発電しています。

 内燃力発電所では、燃料を燃やして水を沸騰させ、蒸気でタービンを廻して発電機に回転する力を伝えて発電します。内燃力発電所は、短時間で始動できることが特徴で、ガスタービンエンジン式とレシプロエンジン式に大別されます。

 火力発電には、大きく分けて以下の4種類があります。

 1.  汽力発電。ボイラーなどで発生した蒸気によって蒸気タービンを回して発電する方式です。火力発電のなかで、主力となっている発電方式です。

 2.  ガスタービン発電。燃料を燃やして発生した高温高圧のガスをタービンに送り、タービンを回して発電する方式です。

 3.  コンバインドサイクル発電。ガスタービン発電と蒸気タービン発電を組み合わせた方式で、排気熱を利用して蒸気を発生させ、蒸気タービンを回して発電します。

 4.  内燃力発電: 内燃機関を用いて発電機を回し、電気を発生させます。内燃力発電所は、短時間で始動できることが特徴で、ガスタービンエンジン式とレシプロエンジン式に大別されます。


伊豆大島にある火山博物館について

 伊豆大島にある火山博物館は、東京都大島町にあります。火山博物館には、三原山や世界の主な火山に関する展示物、映像ホールを備え、火山の総合的な学習施設として利用できます。展示室には、火山最前線、世界の火山紀行、火山の百科に分かれており、コンピューター・グラフィックスや特撮による映像、地層はく離標本などで展示されています。また、シミュレータカプセルによる火山地底探検が体験できます。入館料は、一般大人が500円、一般中学生以下が250円です。休館日については、公式サイトを確認してください。


伊豆大島の乗用車はバスに厳しい?

 (株)大島バスによると、伊豆大島の路線バスは、車両の大きさや運行時間などに制限があるため、車の運転手がバスに厳しいということはないそうです。ただし、島内の道路は狭く、急カーブや急勾配が多いため、運転には十分な注意が必要です。 また、島内には信号機がないため、交差点では十分な注意が必要です。

 伊豆大島で車を運転する場合、以下の点に注意してください。

 ① 島内の道路は狭く、急カーブや急勾配が多いため、運転には十分な注意が必要です。

 ② 道路の一部は未舗装で、穴や段差がある場合があります。特に、裏砂漠周辺の道路は、走行には注意が必要です。

 ③ 島内には信号機がないため、交差点では十分な注意が必要です。

 ④ 運転中は、スマートフォンや携帯電話の使用は禁止されています。

 ⑤  飲酒運転は厳禁です。日本の法律では、飲酒運転による事故は重罪とされ、厳しい罰則が科せられます。

 ⑥ 運転前には、必ず車両の点検を行い、ブレーキやライト、タイヤなどの状態を確認してください。

 伊豆大島には、路線バス、観光バス、タクシー、レンタカー、レンタバイク、レンタサイクルなど、様々な移動手段があります。以下は、島内交通の詳細です。

 ①バス。大島バスという会社が、島内を走る路線バスを運行しています。また、観光バスも運行しており、島内の主要な名所を巡るコースがあります。

 ②タクシー。流しのタクシーはなく、港や空港で客待ちをしているタクシーがあります。夜間は営業していない場合が多いため、利用する場合は事前に予約をすることをお勧めします。

 ③レンタカー。大島レンタカー協会に加盟しているレンタカー会社があります。釣りをする場合は、事前に予約をする必要があります。

 ④レンタバイク。レンタサイクル料金は、1時間あたり800円から2000円程度です。

 ⑤レンタサイクル。レンタサイクル料金は、1時間あたり800円から2000円程度です。


伊豆大島の野間須村について

 伊豆大島の野間須村は、伊豆大島の西部に位置する地区で、人口は約200人。野間須村には、野間須神社という神社があります。また、野間須村周辺には、美しい海岸線や、温泉などの観光スポットがあります。

 野間須神社は、伊豆大島の野間須村にある神社です。野間須神社は、伊豆大島の中でも最も古い歴史を持つ神社の一つで、祭神は大国主命と少彦名命です。


伊豆大島と大国主命と少彦名命の関係について

 伊豆大島は、東京都に属する伊豆諸島の一つで、古くから神々が住む島として知られています。大国主命と少彦名命は、日本神話に登場する神様です。大国主命は、出雲大社に祀られる神様で、国造りの神、農業神、薬神、禁厭の神、温泉の神として崇められています。一方、少彦名命は、国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ神様です。伊豆大島には、少彦名命が妻とした伊豆目比売命(市杵嶋姫命)を祀る神社があります。大国主命と少彦名命は、日本神話において、国造りに関わる神々として共に登場することが多いです。

 大国主命と少彦名命は、日本神話において、国造りに関わる神々として共に登場することが多いです. 『古事記』によれば、少彦名命は大国主命の国造りを助けた神様であり、大国主命と共に国造りに関わる神々として描かれています。しかし、少彦名命と大国主命が直接的に共演するエピソードは、古事記や日本書紀には記述されていません。

 伊豆目比売命(市杵嶋姫命)は、日本神話に登場する女神で、宗像三女神の一柱です。彼女は、大国主命の妃であり、少彦名命の妻とされています。また、彼女は、海神、豊漁の神、航海安全の神、子守の神、子供の守護神、商売繁盛、芸能、金運、勝負、五穀豊穣などの信仰を集めています。

 宗像三女神とは、宗像大社を総本宮として、日本全国各地に祀られている三柱の女神の総称です。 宗像三女神は、日本神話において、スサノオノミコトの子(もしくはアマテラスオオミカミの子)とされ、とても重要な役割を持って地上に降り立ったとされる伝説を持つ神様です。宗像三女神は、航海安全、交通安全、海上安全、大漁、商売繁盛、技芸上達、金運・財運向上、福徳円満、国家安泰などの信仰を集めています。


波浮港について

 伊豆大島の波浮港は、9世紀に起こった割れ目噴火口が海岸部まで到達し、火口湖を形成した場所です。元禄16年(1703年)の元禄関東地震の大津波で海とつながり、さらに江戸時代末期の寛政12年(1800年)、秋広平六により崖を切り崩し、港口を拡げて現在の形の港として完成しました。また、波浮港には、移住者によってリノベーションされたカフェやゲストハウスがあり、島の魅力を感じることができます。

 秋広平六(あきひろ・へいろく)は、江戸時代後期の殖産興業家で、伊豆大島波浮港の開削者です。秋広平六は、寛政2年(1790年)に幕府の医官田村玄長が伊豆諸島で薬草採取のとき案内役を務め、その後、幕命で炭焼きの指導に御蔵島、三宅島などへもしばしばわたりました。波浮港開削を計画し、許可を得て12年で完成させました。


【東京都民限定】往復高速ジェット船利用 伊豆大島日帰りツアー。伊豆大島の岡田港から大島バスの「あじさい満喫コース」で島内をバス観光④。

【東京都民限定】往復高速ジェット船利用 伊豆大島日帰りツアー。伊豆大島の岡田港から大島バスの「あじさい満喫コース」で島内をバス観光④。バスは地層大断面の観光地に到着。

 車内では運転手から以下のように伊豆大島についてアナウンスがありました。

・伊豆大島の土地事情、別荘用地として安く取得するも、うまくいかず。

・地層の大切断面について

・地層から伊豆大島は100年から150年に一回、火山が噴火


伊豆大島について

 伊豆大島は、日本の伊豆諸島北部に位置する伊豆諸島最大の島で、約8,000年前より人が暮らしていたと言われています。伊豆大島は、幾度となく噴火を繰り返して成長した火山の島であり、島の中央にそびえる三原山は、昔から噴火を繰り返し、「御神火」として畏れ敬い神として崇められてきました。江戸時代中期まで主に政治犯の流刑地としての一面を持っており、保元の乱に破れた「源為朝(ミナモトノタメトモ)」も大島流罪となりました。伊豆大島は、日本に自生する10種もしくは11種のサクラ属の基本野生種のひとつの日本固有種のオオシマザクラの発祥地で、島内に特別天然記念物の「大島のサクラ株」が存在する。また、島の97%が富士箱根伊豆国立公園に指定されている。

源為朝について

 源為朝は、平安時代末期の武将で、源為義の八男として生まれました。身長2mを超える巨体で、弓の使い手としても有名でした。為朝は、九州に追放された後、手下を集めて暴れまわり、一帯を制覇して「鎮西八郎」と名乗りました。保元の乱に父とともに崇徳上皇方に参加し、強弓と特製の太矢で大奮戦するが敗れ、伊豆大島へ流されました。しかしそこでも国司に従わず、大暴れして伊豆諸島を事実上支配したことから、追討を受け自害しました。


保元の乱について

 保元の乱は、平安時代末期の日本において、皇位継承問題や摂関家の内戦により、朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分かれ、双方の衝突に至った政変です。崇徳上皇方が敗北し、上皇は讃岐に配流されました。この朝廷の内部抗争の解決に武士の力を借りたため、武士の存在感が増し、後の約700年に渡る武家政権へ繋がるきっかけの一つとなりました。

保元の乱で崇徳上皇方が敗北した理由は、以下のような要因が挙げられます。

  1. 武士団の不足。崇徳上皇方は、源為義や平忠正らの武士団を招きましたが、その数が少なかったため、後白河天皇方に比べて兵力が劣っていました。
  2. 内部分裂。崇徳上皇方は、内部での意見の相違や対立があり、統一された指導力が欠けていました。
  3. 後白河天皇方の優位性。後白河天皇方は、藤原忠通や平清盛らの武士団を招き、兵力が優勢であったため、崇徳上皇方を圧倒することができました。

 以上のような要因が重なり、崇徳上皇方は敗北し、保元の乱は後白河天皇方の勝利に終わりました。


伊豆大島の別荘事情について

 伊豆大島は、東京からのアクセスが良く、自然豊かなリゾート地として知られています。伊豆大島には、別荘地がいくつかありますが、それぞれに特徴があります。伊豆大島の別荘地については、以下の記事が参考になるかもしれません。

 伊豆大島は、昭和40年代の高度成長期から平成初頭のバブル期にかけて、伊豆半島各地で大規模なリゾート施設や別荘地、リゾートマンション等の開発が活発に行われました。バブル崩壊後、大幅に値崩れした伊豆のリゾート物件ですが、ここ数年は、熱海を中心に観光客の増加や景気回復を背景とする富裕層向けリゾートマンションの分譲が復活する等、明るい動きも見られます。

 ただし、需給バランスについては、多数の供給物件に対し需要は限られるため、市場では一部を除き買い手優位の状況が続いています。特に、利便性の劣る山間部の別荘地や管理状況等が劣る別荘地・マンションでは需給不均衡の度合いが強く、市場滞留期間の長期化と価格下落傾向が顕著となっています。


地層大切断面、まるでバームクーヘン?

【東京都民限定】往復高速ジェット船利用 伊豆大島日帰りツアー
まるでバームクーヘン?

地層大切断面の観光(まるでバームクーヘンみたい)

【東京都民限定】往復高速ジェット船利用 伊豆大島日帰りツアー
地層大切断面観光、まるでバームクーヘン♪

 時間は11時33分です。

 伊豆大島の地層大切断面は、島の南西部、沿岸を行く大島一周道路を走っていると、ひときわ目を引く見事な地層の縞模様が突如あらわれます。高さ約24メートル、長さ630メートルの圧倒的スケールの地層の断面が私たちに驚きと感動を与えてくれます。こちらは「地層切断面」と呼ばれ、昭和28年の大島一周道路の建設工事中に偶然発見されたものです。伊豆大島は現在も火山活動を続ける火山島で、大古より噴火を繰り返してきました。繰り返される噴火の中でも百数十年に一度の割合で起こってきた大噴火は火口から空中へ噴き上げられた煙の中に含まれる粒子(主にスコリアや火山灰からなり、降下テフラと呼ばれる)が島の大地に広い範囲にわたって降り注ぎ、地表に沿って同じ厚さで降り積もっていきました。このように降下した火山灰が地表の斜面に対して平行に堆積することをマントルベディングと呼び、地層切断面はその様子を伝えてくれる代表的なスポットとなっています。気の遠くなるような長い年月をかけて何層にもわたって降り積もってきた火山灰等の堆積物が、ごらんのような地層の美しい縞模様となって私たちの前に現れているのが地層切断面なのです。それはまるで、大地の年輪のようです。


伊豆大島の地層について

 伊豆大島は、約1700年前の最新期カルデラ形成以降の噴出物を「新期大島層群」と呼び、それより前の噴出物を「古期大島層群」と呼び、二つに区分されています。伊豆大島火山は現在も活動中で、先カルデラ火山、カルデラ形成・後カルデラ火山に区分できます。伊豆大島の南西部、沿岸を行く大島一周道路を走っていると、高さ約24メートル、長さ630メートルの圧倒的スケールの地層の断面が見られます。こちらは「地層切断面」と呼ばれ、昭和28年の大島一周道路の建設工事中に偶然発見されたものです。地層切断面は、火山灰等の堆積物が、ごらんのような地層の美しい縞模様となって私たちの前に現れているのが特徴です。